私の弘前の好きなところは、このまちに住む「ひと」と、「もの」です。
私は昔から弘前を好きだったわけではありません。この二つは、大学に入ってから強く感じるようになりました。
まず、「ひと」について。
大学の学生団体の活動やアルバイトを通して、弘前は情があり、いつでも応援してくれる人が多いことに気づきました。学生団体やサークルの活動では、「こんな話を聞きたい!!」や、「こんなことをしてみたい!!」と声に出したときに、学生のためなら…と否定せずにお話を聞いてくださる人たちがたくさんいて、貴重で、学びのある経験をさせていただきました。
自分が0からつくって始めなくても簡単に参加できるような機会は他の地域よりも少ないけれども、自分達が何かやりたいと思った時に、一緒に考えて協力してくださる人が多いです。これが弘前の「ひと」のよさだと思います。
また、津軽弁の独特な言い回しで強い口調に感じる時がありますが、よく見てくれていて、みんななんだかんだ優しくしてくださいます。あからさまに表に出すことはないけれどとても情があると感じています。
弘前は男性の方が優れているという考えがあまりないなと感じています。もしかしたら、親世代なら「おなご(女の子)だはんで」といって、線引きをする考えはあるかもしれませんが、同じ世代間でそのような考えがあまりないと思っています。
そのことを強く感じたのは、就活でグループディスカッション(集団討論)をしたときです。あるテーマに沿って話し合いをして、何度か「発表って評価を高くもらえると思うんですけど、女性の方なんかどうですか」と言われたことがあります。なぜ女性に限定するのか全くわからなかったです。私は、今までの学校生活のなかで、そんなことを言われたことがなかったので驚きました。一緒に何か活動するときに性別に関係なく取り組むことができていたことに気づいて、過ごしやすい環境にいたのだなと思いました。
次に「もの」について。
私は高校生くらいまでは弘前は「何もない」としか思えませんでした。しかし、私が感じていた「ないもの」というのは、友達と話していてよく話題になる都会の流行にそったものや、人がたくさん行き来して集まっているからこそできるものばかりで、長い目でみるとすぐに変化してしまうものばかりでした。若いとどうしてもそういうものにひかれてしまいます。
でも、弘前にあるカフェやお店は、流行に合わせたものではなく、いつ行っても変わらず心地よいと感じられるものが多く、あきることがないです。大きくなってからそれが魅力だと感じるようになりました。もちろん流行にそったものが常にあっても楽しいし、わくわくしますが、私がまた行きたくなるのは、はやっているものよりも心地よく、落ち着きがあるものです。自分の価値観としても、心地よさを大事にしたいと考えているので、そのような弘前が好きです。
以上、自分が好きな弘前について書かせていただきましたが、まだまだ私は弘前のことを知らないなと思っています。「なにもない」と思い込んでいただけあって、弘前に対してあまり情報を得ていなかったと感じているからです。だからこそ、これからも何か新しく発見することがたくさんあるはずだと常に考えていて、弘前への期待値も大きいです。
おそらくもっと好きになると思います。私は、人生の間でできるだけ長く弘前で暮らしていきたいです。